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2005.05.11

死について・・・

yuunagi.jpg


今日、
本を読んでいて
心に残った言葉がありました。

「死とは死ぬ本人の問題ではなく、
残された人々が、どのように逝った者との
関係に決着をつけるかという問題に過ぎないのだ」
(篠田節子著 『第4の神話』より)
かあしゃんです。
はるるんが可愛いと思えば思うほど
いつか来るそのときが恐いと
思ってみたり。
まだ、4歳なのであと16年以上先のことと
考えるようにしているのですが…

さて、死について
時々考えます。
といっても
とても漠然としたものです。

例えば
生き物すべてに生まれた日があるし
そして、死ぬ日がある。
いまだかって
死ななかった生き物はいない。
生まれた日は最初からわかっているから
誕生日のお祝いなどをするけれど
死ぬ日は本人にもわからない。
でも、実は死ぬ日は
第2の誕生日と言ってもいい日なのではないか?
死は無事に生をまっとうしたという意味で
(たとえそれが不慮の死、自死であっても)
祝うべき日かもしれないと思ってみたり…。

こちらから向こうへの
此岸から彼岸への誕生日。

昔、地位や名誉、財産を得た人々が
最後に手に入れようとしたものが
不老不死だったといわれています。

ですが、それが実現していなくて良かったと思うのは
なぜでしょうか?

生きていくのは
たぶん、それが運命だからです。
生きる定めがあって
死ぬ定めがある。
ある意味死はすべての生にまつわる苦役からの
解放を意味しているのかもしれない。

不老不死に関して
イメージしたことがあって
それは
まず不老というからには
老いはいくつからか定義しなくてはならない。
で、とりあえず50歳からを老いとするとしましょう。

すると不老不死の世界には
体力的にも、健康面でも50歳以上の人はいなくなります。
ただ、年齢は重ねるので
「私は今度387歳なのよ」
「あら、私は先月452歳の誕生日だったわ」
などという会話が成立するわけで。
なんせ不死ですから。
(そのときになっても、まだ誕生日を数える気力が
残っているかどうかは謎ですが)

そう考えると死はあながち
暗いものではない気がしませんか?

かあしゃんは
天国に行って
(当然ながらお食事はバイキングで
温泉入り放題です←なんて安直な天国のイメージなんでしょう!)
いまは亡きマミちゃん(狆)や
COCOちゃん(ポメラニアン)といっぱい遊ぶでしょう。

はるるん?
はるるんは天国に一緒についてくると思うでしゅ。

なんだか、タイトルのわりに
おバカな内容でいつもスミマセン!!!!!!!
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この記事へのコメント
ママんちも、いつかはお別れという未来を考えて、ぼろぼろひとり泣いてる。
そりゃ、もうへこたれると思うの。
それこそどんより雲背負って・・・。

だけど、考えた。
今が大事だって。
たくさん思い出作ろう!
確かどこかに載ってたんだけど
「あなたが犬にしてあげたことに、犬は感謝しません。ただ、あなたの心に楽しい思い出だけを残して旅立ちます。それだけが、犬にできることです」って。
Posted by ママんち at 2005.05.14 10:08 | 編集
いい言葉だね!
サンキュ♪
ホントにそうだよーーー!
かけがえのない思い出をいっぱい作ってくれる…無償の愛をいつも注いでくれる

ありがとう♪
って今を大切に!って
すごーく思いました。

ママんちありがとう♪
Posted by HALママ at 2005.05.16 20:06 | 編集
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